6年総合⑩ 壬生の歴史 ~神社・古墳~
壬生寺
壬生寺は1685年に建てられ、慈覚大師円仁【えんにん】の誕生した地として、知られている。慈覚大師円仁とは
円仁は794年下野国都賀郡(壬生町)に生まれ名前は壬生円仁という。
幼いうちに父を亡くし、その後808年比叡山【ひえいざん】に登り仏教の勉強をする。
838年唐(中国)に渡り、約10年間念仏などを学ぶ。日本に帰ると、日本中に仏教を広め道や橋、さらに700ほどの寺を作る。慈覚大師というのは亡くなった後に天皇からさずかった名前だ。
壬生寺の見所
壬生寺にはたくさんの見所がある。特に私が気に入ったのは、樹齢約400年~500年のいちょうの木。高さが22mもあり、栃木県指定天然記念物にもなっている。ものすごく立派で魅力的。
入口を入って正面に見えるのが本堂。こちらも立派ですごくきれい。
ほかにも慈覚大師堂や地蔵堂、また、たくさんの行事があるのでぜひ壬生寺に来てご覧になってください。
(文責R.T)
これから、壬生町の歴史について紹介する。これから紹介するのは、車塚古墳、吾妻古墳である。壬生町には古墳が、約300基ある。その中の2基を選んでみた。この二つの古墳は、謎がいっぱいだ。
車塚古墳(くるまづかこふん)
車塚古墳が作られたのは、7世紀前半【620年~】だと考えられている。誰が埋葬されたかは、不明だ。だが、この時代には、お寺が増えていて古墳は、あまり作られていなかったので、すごい権力を持っていたのではないかと考えられている。
大きさは、直径84m 高さ11m円墳だ。私には、学校の校庭ぐらいに見えた。この古墳から、すいきのおおがめという物が見つかった。すいきのおおがめは、埴輪(はにわ)の代わりだ。
また、周りに草や木がたくさんあって分かりにくいが、とても大きい。葺石(ふきいし)が古墳の上に、敷き詰められている。敷き詰められている理由は、きれいに見せる、土を抑えるという意味だ。
吾妻古墳(あづまこふん)
吾妻古墳が作られたのは、6世紀後半【560年~】だと考えられている。誰が埋葬されたかは、こちらも不明。大きさは、全長128mの前方後円墳だ。栃木県No.1の大きさ。私には、陸上のトラックぐらいに見えた。
ここから、石室、棺おけ、はに輪、ガラス玉、挂甲(けいこう)、小札(こふだ)などが見つかった。また、周りに草や木があって見つけにくいけど、とても大きかった。また現在、玄門(げんもん)及び天井石は、壬生城址公園内に移設されている。
天井石 玄門
まだ、壬生町にはたくさんの古墳があるので、自分のお気に入りを見つけてみてください。また、車塚古墳と吾妻古墳には、たくさんの魅力があります。皆さんも是非行ってみてください。
(文責R.H)